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Maretsugu Furugen

失われたもの


自宅近くの桜の木がとうとう切られてしまった。

先日自宅近くの桜の木が切られているのに気がついた。ほぼ毎日ベランダから写真を撮っているので朝の時点ではあったのに夕方にはもう無くなっていた。毎年綺麗な花を咲かせてくれていた。

今年の2月に撮ったものが最後になってしまったことになんとも言えない喪失感を受けた。まさかこんなことにになるとは予想もしなかった。

枯れていたわけでもなかったのできっとこの場所は何か新しいものが作られるだろう。

だからもうこの写真の切り株は再生することもなく失われる。

以前OIST(沖縄科学技術大学院大学)の方と話をした中で日本の自然の再生力はとても強いので日本人は自然を大切にすることの意識が低いだということを聞いた。ヨーロッバ(だったと思う)では木を切るともう生えて来ないだから人の手で植林をして保護しなければならないので木を簡単に切るとこはないそうだ。

桜は人を楽しませるために花を咲かすわけでもなく、実をつけるわけでもない。しかしそのサイクルの中で人は美しさを見て幸せを感じてきた。自然は人に多くの物を与える存在としていたとの考えだから日本人はその中に神を感じたのだと思う。切り株を見て少しの失われたものに寂しさを感じ写真を撮った。

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